2024年


ーーー11/5−−−  ボイストレーニング 


 
歌の練習を、チューナーを使ってやるということは、昨年4月の記事に書いた。その頃は、ひとしきりそのやり方を続けていたが、そのうちに面倒になって、チューナーを使う練習はしなくなった。と言うか、自宅で歌の練習をすること自体、たまに思い出した時にやる程度に衰退した。せっかく思い付いた有意義な練習を、なぜしなくなったかと言えば、必要性を感じなくなったからである。歌が上手くなったからではない。そのような事をしなくても、毎週日曜日の聖歌隊の練習に支障が無いと気が付いたからである。ここに、人生全般に共通した、自らの行状を正しく認識できていないと言う、独りよがりの勘違いが存在したのだが、当人はその事に気が付いていなかった。

 今年になって、フォルクローレ(南米音楽の一種)のライブに参加するようになった。長野市のライブカフェのオーナーが企画・主催するイベントである。初回はチャランゴだけであったが、二回目はケーナと歌とボンボ(太鼓)も担当するようになった。楽器はそこそこ自信があるが、歌の方は聖歌隊の合唱以外に人前で演じた事は無い。オーナーとの二重唱で「灰色の瞳」を歌った。その時は、予想外に好評だった。

 ところが、三ヶ月ほど後に、同じ曲を練習したら、オーナーから厳しい事を言われた。音程が狂っているから、合唱が合わないと。合わない合唱は、聴く人の集中を妨げて演奏が伝わらなくなるから、歌うなら独唱の方がまだましだと、決定的な指摘を受けた。オーナーは楽器演奏、音楽全般に通じているが、学生時代に合唱部に所属していたということから、歌に関しても厳しいのである。その場で私の歌を録音して聴かせ、「外れているポイントは自分でも分かるでしょう?」と言った。たしかにその通りだったので、私は唖然とした。

 その三ヶ月の間に音痴になったのかと言えば、そんなことはないだろう。もともと音程が怪しかったのは、以前の記事に書いた通り。前回は、たまたま上手く歌えたという事だと思う。ともかく今回、動かぬ証拠を突きつけられたのだから、何とかしなければならない。

 自宅に戻って、チューナーを使ってテストをした。音程が半音近くずれている部分があった。どういうことかと言えば、音程が正確な音源を使って、たとえばラの音を出す。それを聞いて同じラを声で出すと、チューナーの表示はソ♯という具合。つまり、耳で聞いた音と、実声(口から出る声)の音程が違うのである。これはゆゆしき問題ではあるまいか。正しい音(声)を発しているつもりなのに半音低いということは、意図的に半音程度のバイアスをかけて、高い音(声)を出さなければ、伴奏や他者の声と合わない。そんなことで、歌が歌えるだろうか? なんだか絶望的な気持ちになった。

 ネットでボイストレーニングを調べてみた。その中に、ハミングが良い練習になるという記述があった。そこで、ハミングで同じように音程のチェックをしてみた。驚いたことにハミングなら基準となる音源とほぼ合った。そして試しに、ハミングで正しい音を出しながら口を開いてみたら、音程が下がった。自分ではハミングと同じ音を出しているつもりでも、チューナーの表示は低くなったのである。つまり、自分が出す声の音程が、ハミングと実声では異なっていたのである。これまで、声の高さは声帯の振動数で一義的に決まると思っていたが、口を開くか閉じるかで変わってくるのである。調べてみたら、一般的に口を開くと音程が下がる傾向があるらしい。

 口を開くと音程が下がるというのは、もちろん個人差はあるだろうが、口の中の構造などによるものだろう。それは理解に難くない。問題なのは、口を開いても(低い音になっても)同じ音が出ていると感じてしまう事である。

 さらに調べてみたら、自分の声として認識されるのは、空気の振動が鼓膜に伝わる「気導音」と、骨の振動が伝わる「骨導音」が混じったものだと言うことが分かった。口を開いて発する実声は、口から出る空気の振動である。それが耳から入って聞こえるのが、気導音である。しかし、自分の声として感じているのは、耳から入る気導音だけでなく、声帯の振動が頭蓋骨を介して直接聴覚器官に伝わる骨導音も加わっている。自分の声を録音して聞くと、自分の声では無いような感じを受けるが、それは気導音のみが聞こえるからだそうだ。ちなみに、先に述べたように、口を開くと音程が下がる。つまり気導音は音が低めである。

 それに対して、口を閉じたまま音を発するハミングは、骨導音に近い。そして私の場合、自分が出す声を認識する際に、骨導音が優勢なのだと思う。だから、ハミングなら音程が合う。自分が発している音と、自分が認識している音が一致しているから、外部音源に合わせることができるのである。ところが、口を開けて声にすると、音が下がる。しかし、骨導音が優勢なので、それを認識しない。つまり、実声が下がっていても、気が付かないのである。これでは、外部音源と合わせることができない。つまり音痴である。

 どのようなメカニズムで骨導音が優勢になっているのかは、分からない。口から出る音(気導音)も、もちろん耳から入って聞こえてはいるのだろう。試しに声を出しながら耳を塞いでみると、それまで混ざっていた気導音が遮断されて、声が高く聞える。

 ともあれ、ここまで解ってきて、一筋の光明が見えたような気がした。ハミングの音程は正しいのだから、実声をハミングに近づけるように訓練をすれば良いのである。その方針で発声練習をやってみた。ハミングをしながら、口を開けて声にするのだが、口の開け方を変えるとか、鼻腔の響かせ方を変えるなどすれば、徐々にだが、ハミングの音程を維持できることが分かった。

 今回の体験は、発声というものの不思議さを、感じさせられた。それを文章にしたのがこの記事であるが、書くのに難しさを感じて、何度も推敲をした。意図していることが読者に正しく伝わるかどうか、悩ましかったのである。おそらく読まれた方も、理屈っぽいややこしさを感じただろう。そのややこしさの原因は、主体的な認識と、客観的事実の食い違いの問題だと思われる。同じ自分の声でも、他人が聞いているのと、自分が聞いているのとでは、音の高さなどの性質が違うという事実。そんな事は、何か特別な機会でも無ければ、気が付くものでは無いし、理解できるものでも無い。

 今回は声の問題であったが、世の中全般を通じて、同じような事はどこにでもある様に思う。自分が考え、発信している事が、他者にどのように伝わっているかを知りたくても、自分の判断にある種のバイアスがかかっていれば、正しく知ることはできない。音ならチューナーで正しさを確認できるが、人間社会全般を判定できるチューナーなど無いのである。




ーーー11/12−−−  ライブの結果


 
11月2日に、長野市でライブ演奏をやった。6月以来だから、5ヶ月ぶりである。本来は9月にやる予定だったが、骨折のため出場を辞退した。グループ演奏なので、その回はプログラムを変えて私抜きでやったそうである。

 私の出番は2ヶ月延期となったわけだが、そのぶん練習期間が十分に取れた。不幸中の幸いだと思ったのだが、それが本当に幸いとなったかどうか。ライブの結果は、ちょっとガッカリするものだった。思ったような演奏が出来なかったのである。

 練習時間が足りなくて出来が悪いのは、当然の結果と言える。それに対して、練習時間を十分にかけ、満を持して望んだ本番が不出来だと、がっかりする。そこら辺が、素人の悲しさである。低レベルの事で、一喜一憂するのである。それは分かっているが、やはり挫折感は大きかった。

 歳を取るにつれて、物事がなかなか思う通りに行かなくなる。若い頃は出来ていた事が出来なくなるのはもちろんのこと、新しい事に取り組んでも、なかなか進歩しない、上達しない。人間の行為には、進歩と衰退が付き物だろうが、歳を取るとそのバランスが大きく後者に偏って行くのである。

 70歳も過ぎれば、放って置けば衰退する一方のものを、訓練や努力でなんとか現状維持するのがやっとである。それは、運動の面では顕著である。若い頃からスポーツをやって来た人は、それをはっきりと感じるに違いない。特に体力に関しては、衰えは隠せない。それは寂しい事ではあるが、仕方のない事であると、ここでは他人事の言い方で済ませておこう。

 スポーツのみならず、肉体的、精神的衰えは、様々な領域で容赦なく老人を襲う。楽器の演奏もしかり。いくら練習を重ねても、上達しないどころか、少しずつ下手になっているのではないかと感じる事もある。今回のライブの結末も、まさにそのような印象であった。今年の初めに、ライブカフェのオーナーから演奏の依頼があった時は、「自分もようやくそのレベルになった」と喜んだものだったが、それはぬか喜び、甘い考えだったようである。

 ところで、ライブで惨めな思いをした件を耳にして、長女が言った。「ライブには魔物が住んでいるからね」。まるでオリンピックのようである。長女は学生時代にジャズバンドに所属していた。担当はドラム。「ドラむすめ」などとからかったものであった。その長女が言うには、ライブと言うものは、全く予想外の失敗が付き物であり、普段ふつうに出来ていることが、突然行き詰ったりするのはよくある事。どうしてそのような事が起きるのかは、分からない。だから「魔物」なのだと。同じような事を、別のジャンル、たとえばロックミュージシャンからも聞いたことがあるとのこと。

 そのようなトラブルは、ライブの回数を重ねることで克服する、と言うよりは慣れるしかないらしい。場数を踏んでいる人は、ミスをしでかしても、誤魔化す方法を知っている。そんなものだと。そう言われてみれば、クラシックの一流音楽家のライブ演奏を聴いても、「あれっ?」という場面に出くわすことがある。演奏を間違えているわけではないが、何かしっくりこないのである。そういうとき、おくびにも出さないが、本人は「やっちまった」と思っているのだろう。

 今回も、ライブが終わった後、オーナーに「上手く出来なかった」とこぼしたら、「お客さんには分からなかったでしょう?」と言われた。それで良しとする考え方もあるかも知れない。長女はこんな事も言っていた。「上達するにつれて、自分の演奏に対する要求が高くなるから、小さな事も気になるのよ」。

 その一方で、思い通りの演奏が出来て悦に入っても、お客の心に響かないケースもある。オーナーはこんな事も言った。「明らかに技術が低い演奏でも、お客に受ける事があるし、またその逆もある」。

 ともあれ今回のライブは、自分の趣味である楽器演奏を、今後どのように続けて行くのか、考えるきっかけになった。残りの人生は、もうそれほど長く無い。能力もどんどん衰えて行く。何を目標にして、どのように音楽をやって行けば、楽しく充実した余生を過ごせるのか。頭を冷やして、じっくり考えてみよう。




ーーー11/19−−−  房総の思い出


 埼玉県は、うどんの食文化が盛んらしい。先日テレビ番組で初めて知った。埼玉県、栃木県、群馬県あたりは、何だか印象が薄い。位置関係も定かでない。内陸の、しかも平野部なので、特徴が無いように思われる。茨城県は海に面しているから、先の三県よりはまだましだが、それでも名を聞いてすぐに思い出すような物は無い。以上、各県の方にはお気を悪くされるような事を書いてしまったが、他意は無いのでお見逃しを頂きたい。

 同じ関東地方の田舎である千葉県は、印象が濃い。三方を海に囲まれていることが特徴的である。房総半島は国内で最大級の半島だが、それが一つの県で占められているというのが、凄い。

 私は会社員時代、事業所が船橋市にあり、八千代市や習志野市に住んでいたことがあるので、千葉県との関わりは深い。カミさんも千葉県出身である。しかし私にとっての千葉県の印象は、そういうことよりも、房総半島で過ごした日々が大きなインパクトを残している。

 外房の勝浦は有名だが、その近くに興津と言う小さな入り江の漁村がある。そこに、遠い親戚の別荘があった。湾を見下ろす一等地に立っていたその別荘は、木造二階建てで、贅沢ではないが、とても居心地の良い家であった。子供のためなら、ずうずうしい事も平気でやる母が、上手い具合に渡りを付けたのであろう。小学生の頃、毎夏の数日間をその別荘で過ごした。

 砂浜で海水浴をしたり、磯で小魚を探したりして遊んだ。防波堤で釣りをしたこともあった。別荘の裏には天徳山という、歩いて登って5分ほどの山があった。その頂上に立つと目の前に太平洋が広がった。夜は、花火が上がることもあった。砂浜で盆踊りが催されたこともあった。楽しい出来事がいっぱい散りばめられた、これぞ夏休みという感じの日々だった。

 懐かしいあの場所を、また訪れてみたいという気もしないではない。その気になれば、もちろん行く事は出来る。しかし、もう二度と行くことは無いだろう。

 他にも、房総半島の思い出は多い。会社のヨット部に入った頃、活動の拠点は館山だった。そこに、毎週末通ったものだった。ヨットという乗り物の楽しさ、素晴らしさを知ったのは、あの地である。館山湾でヨットを走らせた日々は、これまたとてつもなく懐かしい。

 房総の山に遊んだことも、数度となくある。気候が温暖な房総は、内陸部にミカン畑などがあって、桃源郷のような趣があった。季節が早くても遅くても、山里には陽光が溢れていた。そして、たおやかな道を登り詰めて山の頂きに達すれば、キラキラと光る海が見えるのが常だった。

 いずれも、胸がキュッとなるほど懐かしい思い出である。しかし、もう二度と行く事は無いだろう。




ーーー11/26−−−  骨折から三ヶ月経過


 登山中の事故で骨折したのが8月20日。入院して手術を受けたのが、二日後の22日。この11月22日で、ようやく三ヶ月経った。

 骨折部の骨が癒合して、元の状態に戻るまで三ヶ月かかると、ドクターから聞いていた。それで、三ヶ月が回復の目処と考え、ひたすらこの日を待っていたのだが・・・

 まだ全快したという実感は無い。足首の腫れは残っているし、時折痛みが生じる。足を曲げる動作、たとえば正座などは、無理をしてやっとできるという感じ。階段の上り下りなどで、ふらついたり、不安を覚える事もある。

 骨折部がちゃんと付いているかどうかは、自分では分からない。ドクターは、レントゲン画像を見て「良い感じで付いているようだ」と言う。だから治ってきているとは思うが、強度試験で確認しているわけではないから、正確な事は分からない。

 付いたはずの骨がまた外れてしまうという事例も、全く無いことではないらしい。私の場合、金属プレートで固定しているから、その可能性は低いらしいが。とまあ、悲観的な事ばかり考えてしまうのは、年齢のせいか(笑)。

 知り合いに、近所で別荘暮らしをしている方がいる。光城山を毎日のように登っており、その関係で登山仲間が多い。その方の話では、私と同じように足を骨折をした78歳の男性がいたが、三ヶ月を過ぎたら登山に復帰したそうである。私より7つも年上なのに、大したものだと感心した。とても真似は出来ない。

 私もいずれは登山を再開したいと思っているが、これからはダブルストックを使おうと考えている。ダブルストックは、一時期使っていた事がある。そのいきさつは2006年7月4日の「梅雨の晴れ間の常念岳登山」と題した記事に書いてある。その当時は、とても気に入って使っていたのだが、しばらくしたら止めてしまった。無くても歩けるし、両手がふさがっているのが面倒に感じたからである。

 今回の骨折事故を経験して、もう歳なのだから、安心・安全のためにストックを使うべきだと思い直した次第。もしあの日、ストックを使っていたら、あの事故は起きなかったと思う。足が滑ったとしても、ストックでバランスを取れたかもしれないし、転倒したとしても、片足の上に全体重が乗るという最悪の状況は避けられたと思う。手をつくより先に、ストックは地面につけるから、体勢を立て直す一助になるのは間違いないだろう。

 そう言えば、上に述べた78歳の男性も、登山再開にあたり、ダブルストックを使うことにしたらしい。もっとも、私のようにまだ怪我の後遺症が残っており、歩行の補助のために使うという事かも知れないが。

 ともあれ、一区切りとなる三ヶ月を無事に迎える事ができたのは、有り難い事である。順調に回復しないケースも多いと、リハビリの先生から聞いたので、この三ヶ月間はけっこう不安が付きまとっていたのである。

 これから寒い季節になり、ただでさえ体の動きは悪くなる。「もう治った」という気分で有頂天になり、いきなり無理な事をしては危ないだろう。来年の春、暖かくなるころまでは、慎重に様子を見ながら、安全な範囲で体力と機能の回復を図るようにしたい。

 こんな結論に達するとは、我ながら、ずいぶん大人しくなったものである。

 しかし、あんな事を経験すれば、こうなるのも当然ではあるまいか。